5月
14
2013

注文住宅を建てるつもりはあっても土地のない夫婦に、とうとう姑が決断。「この家を壊して建てよう」

1989年に2世帯注文住宅を建てた私たち、当初は別居の予定で土地を探していました。

元々、両親の住む家のあたりがいわゆる高級住宅地とされていて、バブル当時は地価がどんどん上がり、姑は自分たち亡き後の相続税を心配していました。

息子夫婦が土地付きの家を持っていれば、いざとなればそれを売って税金を払って同居すればいいと考え、家購入を応援してくれていましたが、いつまでも決まらないのに業を煮やしたのでしょう、「もうこの土地に2世帯住宅建てて一緒に住んだらいいやん」と言い出しました。

そうなれば話は早い。分譲地を見に行き、申し込み、抽選にはずれ、申込み、はずれ、前の記事で書いた高槻の土地を手に入れ、結局手放すまで10か所1年近くかかっていたのに、姑が同居の話を言い出してからは、とんとんと話が進み、今の新築注文住宅に住むまで1年かかるかかからないかでした。

当初は台所も一緒、まるっきりの同居のつもりだったのですが、色々な人の話を聞くうちに、姑の方から「台所は別にしよう」と言い出しました。

こちらとしては渡りに船です。

それなら100坪の土地なので、2棟別棟で建てようかと話がまとまりかけたところで、最近増築した部分を壊すのはもったいない、と残すことになり、別棟案はなくなりました。

これは後になって、とてもよい決断だったことがわかります。残す部分には親世帯のリビングダイニングがあり、日中、生活のほとんどをそこで営んでいたからです。

この後、2世帯そろって、住宅公園のモデルルームに何回か出かけ、多くのメーカーの意見を聞き、一致した考えは

  『2世帯を鍵のかかるドアで区切らない』
  『玄関は一緒』
  『台所は別』
  『トイレとお風呂も別』

着かず離れずの生活をしようという方針です。

意外だったのは、あるメーカーさんに「お年寄りの寝室はベッドにした方がいいですよ」と言われたこと。

私たちにはベッドは若者、布団は年寄という思い込みがありました。

今では当たり前のベッドの方が、年寄は寝たり起きたりが楽、という事実に当時は誰も思い至りませんでした。

どのメーカーさんも親切に相談に乗ってくださり、どこに決めても大丈夫と思えるくらい好印象でした。後は、坪単価やそれぞれの特徴で検討して決めるだけです。

さあ、どこにしましょうか。