5月
07
2013

そもそものきっかけは団地の高額家賃。紆余曲折、行きついた先が一戸建ての2世帯注文住宅でした。【麻紀子さん(仮名・50代後半・サロン経営)】

平成に入ったばかりの1989年3月。

大阪府郊外北摂の千里ニュータウン近くに夫両親と私たちの2世帯注文住宅が完成し、ここから玄関共通、台所やトイレ、お風呂などの水回りは別々という2世帯同居生活が始まりました。

長女の小学校入学に合わせての同居でしたが、そもそも、こんなに早く夫両親と一緒に住む予定ではなかったのです。

1980年代、昭和の終わり頃。20代の若夫婦、会社勤めの夫と妻、幼い二人の娘。

当時住んでいた大阪府郊外、北摂の公団は新築14階建ての6階で3LDK。環境が抜群に良いだけあって、当初家賃は共益費込みで7万円強。学校卒業後、数年の手取り十数万の若夫婦にとってはかなりの負担でした。

最初は、別居で自分たちだけでやりくりしろと舅が選んでくれた団地。

親心には逆らえず入居したものの、夫の給与だけでは生活するのに精一杯。貯金もできません。そのため、妻である私も娘二人を保育園に預けて、近くの会社でアルバイトをしていました。

ところが傾斜家賃で毎年家賃が上がっていく。最後は共益費込みで12万にもなるのです。給料アップより家賃アップの方が高く、苦しいやりくりが続いていました。

そんなある日、姑が言いました。「家賃が高いんやったら、その分ローンにして家を買ったらいいやん」

それもそうだ、とさっそく休日には新聞広告を頼りに近所の中古や新築のマンションを見て回り、ある1軒など申込金まで払いました。

当初の予算は中古で2000万円以内、ところがそのマンションは新築で3000万にちょっと足りないくらいの価格。

不動産業者の計算によると、社内積立を頭金にしたら、今の家賃並みのローンで何とかなりそうということで決心したのですが、今度は舅の一言。「そこまで出して買うなら一戸建てにしたら」そして姑も一言「将来の相続税のためにもマンションより土地付きの方が売りやすいからいい」

当時、大阪府北部能勢あたりの新興住宅地なら3000万円台前半で一戸建てが買えました。

しかも、時はバブル突入、土地はどんどん右肩上がりに上がっていく。確かに土地付きの方がいい、と単純な若夫婦は思い、すぐにマンション申し込みを取消。幸い申込金は全額返してもらえ、家探しは振り出しに戻ります。

この時点では、まだ両親も私たちも同居するつもりはなく、場所も夫の通勤に便利な所というだけで、漠然と注文住宅を建てるのかなという程度の思いでした。

そこから、冒頭の2世帯住宅まで長い迷走の旅が始まったのです。